2025年8月4日

163 能登あすなろ通信 雨が

 


雨が一向に降らない。その間に梅干しは仕上がったのだが…。日照りが続く。イネ科の丈夫な雑草も、さすがに萎れ始めてきた。井戸の水を汲み上げ、畑にある夏野菜に水をあげるのだが、その井戸の水の水位もどんどん低くなり、こちらも枯れてくるのではないかと心配になってくる。

冬は冬で、寒い、寒い。と震えながら、お日様を恋しがり、早く暖かくなることを思い。夏は夏で、暑い、暑い。と、ぐったりとして、早く涼しくなることを思い…。毎年、毎年の同じ事の繰り返しのようだが、どちらにしても穏やかな季節の到来を夢見るようにして辛抱強く、我慢しながら、日々を暮らしている。それは、みんな同じ状況だという安堵感があるからで、誰か特別の人だけが、この酷暑から免れている訳ではない。寒い時には寒さを感じ、暑い時には暑さを感じることで、秋や春の季節は特別な恵みとなって、嬉しい、ありがたい、という気持ちがふつふつと湧いてくる。それは、どんな人にも共通した、心地よい季節への感受性なのだろう。

猛暑は、世界中に広がっている。南極、北極の氷が融けだし、海の水位が上がり、温度が上昇している。小さな島々は海に沈んでいく。このまま進むと人類は地球に住めなくなっていくと、気鋭の専門家達は警告を発している。ぼくら人間は内輪喧嘩している時間がない。タイとカンボジア国境争い、あちこちでの戦争をしている余裕がない。だが、夫婦喧嘩、兄弟喧嘩、近所同士の諍いが止められない。国会での権力闘争、言い争いが止められない。止められない…。                      2025年7月28日

2025年6月30日

162 能登あすなろ通信  夏至


 一片のアジサイが咲き出したと思うと、示し合わしたように青く、赤く、空っぽく、辺りのアジサイがいっせいに咲き始めた。その中でホンアジサイを花瓶に入れて、部屋に飾った。そうして、初めて梅雨だと感じている。    

先ほど、土砂災害警戒情報がアナウンスされた。激しい雨が大地を叩きつけている。近くの知り合いの家は、崖の上に建っている。去年九月の豪雨災害で、その玄関前の崖が崩れてしまった。幸いに家にまで被害が及ばなかったから、深刻な難には至らなかったのだが。その崖の下にある農家の直ぐ近くまで、土砂が流れ出した。それが未だ手つかずにある為、大雨警報が発令する度に、気が気でないと言われる。前の崖、裏山の崖、真下の家…、今日はさぞかし、気に病んでいることだろうと思う。そんな危なっかしい場所に住んでいるのだが、彼はいつも平然な振りをして、心強い。会う度に、何だか、何時もこちらが励まされる。

世界中の紛争、戦争が止まない。日本も含めて、戦争抑止力の名の下に、戦争道具を開発し、増産していく。歴史は繰り返す。という言葉が宙に浮いていく。ぼくら人類は、一体何処へ行こうとしているのだろうか。人間だけが、栄え豊かさになっていくことが、本当に可能なのだろうか。大地を削り、海を汚し、森を失くして、人間は人間として生きられるのだろうか。ゴキブリ、ハエ、ネズミ、蚊、蜂を殺して人間だけが安穏に暮らせるのだろうか。人間…、否先ず、このぼくのことなのだが…。       2025年6月29日

 

2025年6月3日

161 能登あすなろ通信 五月晴れ


 



五月雨から五月晴れと近頃の空模様だ。家にいても、野良仕事するにも、何をするにも、一年でもっとも気持ち良く過ごせる季節だ。畑地での、日差しの浴びる仕事が楽しい。草花、樹木が急激に育ってきている。草刈りは大変だが、満開になっている花を見つけては、しばし休む。雑草で、当たり前に、うんざりする位に咲き誇っている花々なのだが、この中の一つの花を摘まみ出してみると、その可憐さ、巧妙さは筆舌に尽くしがたい。どれもこれも特殊で、唯一無二なのだ。何百万年、いや何十億年もかかって紡ぎ出された花たちなのだ。人間にとって、必要ない、刈ってしまえば良い雑草は、ある人々にとっては、また他の生きもの達にとっては掛け替えのない草花なのだ。岩石、微生物、昆虫、動物、人間、みんな生命の歴史からみると、掛け替えのない生きもの達なのだ。

五月の空は、若葉が目立つ。つい最近まで裸木に近かった枝々に若葉が生い繁り、光りをさえぎり、地上に微妙な影を造っていく。樹木の間に太陽が点滅していく。爽やかな風が流れていく。人間世界とは全く異なった光景が拡がっていく。

地球に生物の原型が生まれて38億年、人類が誕生して700万年、定住し、農耕生活が始まって、一万年。そしてぼくはこの世に生まれ、ここに生きている。誰しも、確かな明日のことは分からない。しかし、今日という日は、38億年、いや全宇宙の営みの一日一日の出来事の到達点であったことは確かなことだ。                         2025年5月30日

                                                                                                                         

2025年5月12日

160  能登あすなろ通信  サクラ散る

 


サクラが咲いて、散ってしまった。先日まで鮮やかな橙色の花々をつけていたモモの花が萎み始めてきた。日ごとに、木々の仲間内では、主役の座を譲っていくようだ。今は、紫のモクレンが満開だ。主役が次から次へと交代して、楽しませてくれる。

下方に目を移せば、雑草が急激に育っていく。雑草と言っても、みんな夫々立派な名前を持っている。カラスノエンドウは、草刈りの時、機械にまとわり付いて、厄介なのだけど、花が魅惑的だ。好きな人は、態々育てていることだろう。砂漠の民達は、雑草の全てが、貴重で、美しく、可憐なものとして見えている。その地で草刈りする者は、狂人だ。

都会にいくと、ニラが一束何円かで、生鮮食品場で売っている。ニラは、どんな雑草にも負けず劣らず、根っこは深く、強いから簡単には枯れない。何の世話も要らない、植えておくだけで、次第に勢力拡大して勝手に増えていく。しかしスーパーで売られているニラ、他の野菜は勿論のこと、化学肥料や農薬を施したものとして売られている。農薬の悪臭は尋常ではない。ぼくらは、見てくれ、カロリー、栄養素の数字を信頼している。ミミズがいて、様々な生き物が生きている土は豊かで、触れていても気持ちが良い。化学肥料、農薬を施せば、みんな死んでいく。

海や大地から、全ての生きもの達が育っていく。その海や大地に汚染物、農薬が埋まっていく。空気中にプラスチックが漂う。私たちが、自らの豊かさの為に、地球を我が物にしていく。               2025年4月30日                                 

     

                

  

2025年4月1日

159 能登あすなろ通信 三寒四温

 


桃や梅が開花して、鮮やかな風情が目に飛び込んでくる。ウグイスは、早朝から盛んに歌っている。スズメとのデュエットもある。すっかり春なのだ。…と思っていたら、一転して冬に逆戻り。夜はストーブを点けて、仕舞ってしまった毛布を取り出した。三寒四温とはいうものの、激しい気候の変化に、惑わされていく。

能登の至るところ、ブルーシートが壊れた家を被っている。そのシートも風雨に晒され、劣化して切れ切れになり、風に飛ばされ、あちこちに散乱していく。シートがあったお陰で、一時しのぎができた。しかし、切れ切れになったこれらのシートは時間と共に、さらに細かくなって、海や陸に埋もれていく。ビニール、プラスチック製品は、軽くて安くて、便利だ。スーパーに行けば、ビニールの類を使っていない品物の方が少ない。これらゴミになる半分以上が、回収されずに、海や陸地に捨てられていく。ゴミになったプラスチックは、様々な生きもの達にも取り入れられ、回り回って我々人間にへと及んでいく。しかし、今時はプラスチック製品でできた筋肉、血管も生れているのだから、それはそれで問題はないのかもしれない…。

何が善いのか。悪いのか。各人、民族や文化の違いによって一様ではないのだろう。またこの地球を、人間だけで、善し悪しを決めることもできない。地球の生きもの達みんなの気持ちも汲んでいく、そんな思いがないと、地球は、みんなの生きる星ではなくなってしまう。     2025年3月30日