2026年3月1日

170 能登あすなろ通信 梅香る

 


暦ではとっくに春になっているのだが、ぼくの中では、穴蔵生活のようであった冬が続いていた。その、かなり重くなった身体も、気温の上昇と共に、外へ外へと動き出してきた。気がつくと、イヌノフグリ、ヒメオドリコソウの花が眩しそうにぽつり、ぽつりと咲いている。梅の花もほぼ満開に近い。剪定した枝を持ち帰り、玄関と室内に飾った。夜、閉め切った部屋に梅の匂いが、甘く満ちていた。香しい春が家中にもやってきた。

近くの大きな家が取り壊される。欲しいものがあったら、もらってと云って下さったので、何だかんだと頂いてきた。火鉢、夏の障子戸、簀戸、藁の畳[今の畳はビニール製品]、桐のたんす、着物、お釜、みんな誰か彼かが丹精込めて作った、かつての暮らしの必需品。…みな捨てられていく。

近所の方々は、みな八十歳を優に越えて、九十に近い、向こう隣の三男さんは九十八歳。町全体の平均年齢も八十に近い。しかし多くの方々は、様々な悩みや故障を抱えながらでも、野菜作りや好きな事に励み、それなりの張り合いある生活をしている。何もかも自分でやらねばならない生活を、長い間続けているから、日々の暮らしの工夫も、現在の身体と知恵に応じた生活ができていく。これが良いという標準の暮らしは何処にもない。一人ひとりが、その時々に合った、相応しい生活を工夫していくことが仕合せであり、生き甲斐となっていく。より良く歳をとるということは、誰とも比較できない、今日一日、自分なりに精一杯であったことに感謝しながら、安心して床に就いていくことではないだろうか。      2026年2月28日

2026年2月4日

169 能登あすなろ通信  三つ子の魂百まで

 


大寒の時節らしく、雪が降り、積もった。今、日本中のあちこちで大雪になり支障が出ているが、幸いに能登、中でも黒島は少ない雪で済んでいる。雪が多く降り、積もっていくのは困るのだが、だからと言って、雪が降らないと、味気なく、物足りない。茫々と降っている雪を恍惚と見てしまう時が、誰にでもあると思う。いつまで経っても、ぼくらには、子供の頃と変わらない気持ちがある。その本音なるものは、三つ子の魂百までなのだろう。雪やこんこん、霰やこんこん、降っても降ってもずんずん積もる…犬は喜び、庭かけめぐり…。

今日は、朝から雪ではなく、みぞれ雨だ。屋根の上にあった雪も滑り落ちて、殆んど見えなくなった。地球は、暖かくなり、ひと昔のような寒くて厳しい冬は、余り長く続かなくなっている。南半球のオーストラリアのメルボルンでは、今、真夏で気温が四十度を越え、危険な暑さという。そんな夏も、困るなと思うが、寒いのも…、ちょうどいい温度加減が良いのだが。それでは、却ってぼくらは怠け者になっていくのかもしれない。

誤解は常なるものだ。身近な家族ほど、近い分だけ、気づかずに誤解し続けている。その誤解の積み重ねが、ひょんなことから火花が飛び、時に爆発する。そうすると世界中で戦争がなくならない理由も分かる気がする。―先ず、何よりも、三つ子の魂百までの、このわたし自身が一番に問題となっていく。他人のあれこれを噂し、評するのは、たやすい。このわたし自身を省みるのが、世界で一番ややこしい事柄なのだ。    2026年1月29日

                                

2025年12月30日

168 能登あすなろ通信 今日一日

 


近頃「もういくつ寝るとお正月~」というフレーズがしきりに浮かんでくる。子供の頃、元旦や正月は、特別で、前日からわくわくしていたものだった。それがいい加減な年齢になっても消えないでいる。年末が押し迫ってくると、決まって「タコ上げてコマを回して遊びましょう、はやく来い来いお正月~」と口ずさんでいるのに気づく。

しかし、こういった特別な元旦や正月は、近年になればなる程、少しずつ特別色が薄くなってしまった。その家の主婦が何日もの間、時間をかけて手作りしたお節料理は、今日日は、お金さえ出せば、前日に配達してくれる。コンビニやスーパーマーケットへ行けば、元日でさえ様々な食品、品物を手に入れることができる。タコもコマも姿を消し、みんなで共同し、一緒に何かをすることをしなくても、スマートフォン一つあれば、退屈をしのぎ、お金も稼ぐことができる。確かに世の中は便利に、豊かになった。でもその代わりにぼくたちは、何か大切なことを失くしていく。

黒島では、あちこちの家々の解体工事が進行中。朝から重機の重く、地響き立てていくキャタピラが、地震で傾いた家々を解体していく。空き地がさらに広がっていく。能登も黒島もこれからどうなっていくのか、期待と不安が入り混じり揺れていく。…だが、ともあれ今朝も無事に迎えることができた。この一日を疎かにしては、明日でさえ期待が持てなくなってくる。ならば今日一日、思いつく限りのことをして、明日の為に、夜、床に就きたいと思う。先人たちも一日一日生きてきた。ぼくらは、ただそれを受けついでいく。                                2025年12月29日