一年中で一番寒い時節である大寒のまっ最中。でも雪の姿はなく、雨降りばかりの温い冬だ。雪が全くないのは、ありがたいのか。寂しいのか。どちらの思いも、その時々の都合で往来していく。
わが家の窓から笹竹が見える。しなやかな笹竹は、少しの風で揺れていく。強い風が吹くと大きく揺れる。台風なみの風が吹くと、踊り狂って倒れんばかりになっていく。それらは、時に、夜明け前の薄明りの中で、風と共に大声を出して叫ぶような生き物にも、怪物のようにもなっていく。こんな時、人間だけがこの世で生きて、話し、生活している訳ではなく、ぼくらには見えない、聞こえない所で、数限りない生き物、ものが蠢き、働き、様々なことを考えているのではないかと思ってしまう。数万年前の石器、縄文時代の人々には、こんなことは、当たり前であった筈である。並べての自然は、驚異的であり、畏れ敬うものであった筈である。古代の人々が劣っていた、無知だったと現代人の誰が言えよう。遠い先の未来の人々が、今日の現代人を評して、劣っていた、無知だったと思っていたとしたら、それは却っておかしくなってしまった未来人の姿なのかもしれない。
宇宙の、地球上のあらゆる生きもの達は、存在し、生きている。人間だけが、生きて存在している訳ではない。ぼくらが、色々な文明の道具、利器を創り出して便利になったと喜んでいたとしても、他の生きもの達には、そんな人間を実に奇妙な生き物として映っているのかもしれない。
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