2025年3月4日

158 能登あすなろ通信 川の流れのように

 


今冬も、通り過ぎてしまった。あっという間だったという気がする。去年の暮れ頃、元旦に起こった大地震、その後の寒い冬を過ごさなければいけなかった記憶が、新しい冬を迎えることに怖れを抱かせていた。その冬が向こうの方へと立ち去ってしまった。それらは、さらに段々に遠くへと見えない所まで流されていく。今は、鶯が盛んに鳴き始め、梅も綻び始め、先日まで降り続いた雪も、急激に見えなくなった。…今日が瞬く間に過ぎ去っていくように、この冬もあっという間に過ぎてしまった。この一年も、この生涯でさえも、川の流れのように流れていく。

立派な邸宅に住み、衣食住に不自由なくとも、それだけでは人は、人として仕合せに暮らしてはいけない。却って衣食住に不自由さがあっても、それらを苦にせずに元気に生きている人々がいる。元気で、充実して生きていくことは、貧しくとも富んでいようとも、老いていても若くても、善人であろうが悪人であろうが、余り関係がないのかもしれない。それよりも自分なりの希望や夢を持ち、それを守り育てていくことが元気の素となっていくのだろう。

どんな人であっても、人は誰でも、独りで生まれ、みんなの中での独りで生き、独りで死んでいくのである。たった独りは、寂しく、孤独でもあるが、誰も交代できないその人自身だ。人は、みんな一人ひとり真似できない違った身体、性格、境遇を持っている。それらの素材を、どう活かしていくかが、今日生きる、もっとも大切なことではないのか。       2025年2月28日  

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