黄泉にいる母は、イチジクが大好物だった。そのお目当てのイチジクは、ちょっとした藪の中にあり、膝が悪かった母には、採れにくいところにあった。その所為で「お前、ちょっとそこにあるイチジクを採ってきておくれ」と、よく言われた。当時、イチジクのどこが美味いのか、さっぱり分からなかった私は、しぶしぶその藪の中に入り、イチジクを採って来た。
母と同じような歳になった私は、母と同じく、今はイチジクに目がない。しかし八百屋でイチジクを買って来ても、どうも今一つ物足りない。野生のイチジクでなくては、イチジクの醍醐味がないのだ。
7,8年前に、偶々イチジクの苗を見つけた。本来のイチジクを育てようと思った。大きな鉢に入れられた、その苗もかなり大きくなった。が、一向に、実がならなかった。肥料もあげていないから、当然だろうな、とあきらめていたら、今年は一挙に8つも実ができた。赤黒く熟し、実が割れる寸前に採ったイチジクは、残念ながらうま味が今ひとつだった。だが、自分の家で、育った木から収穫できたものは、格別な味がするものだ。肥料も施していないのに良く実をつけてくれた。母の好きな果物だった。と、そんな思いが入り交じって、甘酸っぱくも感じた。
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