2015年5月20日

46 夏  見える、聞こえるということ



わが家の、小さな空き地に育った白いバラが、今年も見事に、可憐に咲いてくれました。注意しないと人の目に触れることが少なく、もっと見てよ。と一人やきもきしました。特別な世話もしていません。が、懸命に咲いてくれたのが、一入嬉しく、自慢したかったのです。
世界的に活躍されているバイオリニスト川畠成道さんがいます。彼は殆んど目が見えませんが、絵画の展覧会を観るのが好きで、良く出かけるらしい。付添いの方の絵への感想と共に、美しい画面に見惚れてしまうことを聞きました。また全盲の方が、風景の素晴らしさに感嘆するということも聞きました。
目が見えても、耳が聞こえても、美しい風景が見えない、素敵な音が聞こえない。見えなくとも、聞こえなくとも、豊かな画像や音が見え、聞こえる。そういえば、まだお腹にいる赤ちゃんに、モーツアルトの音楽を聞かせると良い。という胎教もありました。まだ耳や脳の育っていない子にも音楽が届くのですね。目が見えても、耳が聞こえても、真実が見えない。聞こえない。目が見えなくとも、耳が聞こえなくても、素敵な、美しいものを見ている。聞いている。
 東洋医学では、目は肝臓、耳は腎臓です。肝臓や腎臓には、それぞれの気、即ち怒り、怖れがあります。肝臓や腎臓は、単独でいる訳ではなく、五臓六腑一体となった家族の一員です。見える、聞こえるのは、目や耳だけではなく、身体全部で行い、気持ちのあり方によってなされる行為なのです。                                 2015・5・22    


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