2022年8月26日

128 能登あすなろ通信 黒島の天領祭り

 


猛暑という言葉が度々天気予報に載るようになった。数年前に扇風機さえ使うことが少ない。と書いたこともあったが、今夏は、扇風機に助けられた夜が、幾夜あったろうか。日中は、家の中で一番涼しい土間にいる。暑いさなか、どこからともなく吹いてくる風が、昼寝に頻りに誘う。

コロナ騒動で開催できなかった、黒島の天領祭りが、三年振りで執り行なわれた。諸々の事情に加えて、当日は雨模様で、二日目の晴れた午後のひと時、縮めに縮められたお祭りになった。だが、ぼくにはそのひと時に集まった、ずっと待ち望んでいた主催者、参加者、見学者も含めての全員を巻き込んでいった、その祭りに、こころが沁みた。

祭り<神を祭る。祭るとは、神を慰め、祈願する>は、人類の生活が始まって以来、どの地においても執り行なわれた文明の証しだ。人類は自然の脅威から守られ、共に生きる暮らしができていく為には、何よりも<神なる>ものの力が必要だった。人は、太陽が昇り、沈むことが、雨が降り、晴れることが、<神なる>ものの力以外には考えられなかった。夜の天空の星々が神なるものの光りとしてでしか思えなかった。それはつい何百年前までは、地上のどこであっても当然のことだった。今は、神は死んだ。のか、忘れてしまったのか。必要とはされなくなったのか。

ともあれ、そんな<神なる>ものを忘れても、必要とされなくなっても、畏怖するような、不思議なことに、思いを馳せない人はいない。全ての人類と変わらぬ血や細胞、地上の生きとし生けるものと、同じ血や細胞の生きものとしての、ぼくを思う。                    2022年8月25日

                               

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