一年の中で一番長く、日本列島を照らしている太陽の季節、夏至の一日が明けていく。朝四時は、もう、とっくに、そこら一帯明るい。日本海、猿山灯台周辺の山々が、黒島の家々の黒い屋根瓦が、薄明るい透明な光りによって包まれるようにして、目の前に展開していく。その光りが、ぼくにまで届き、包まれていく。この一日の、一回限りの一日がスタートしていく。
この一日は、初めての一日である。生まれて来てからずっと親しんできた、一日であっても、やはり新しい、初めての一日である。今日の、この一日を大事に、大切に生きようとはしないで、一体、何を大切にできるというのだろう。自分の生活を、家族を、地域を、地球を大切にしていくということは、取りも直さず、この今日という日を、先ずどれ程、慈しみ、大切にできていくかが問題なのではないのだろうか。昨日の、これまでの事に、くよくよすることが、明日や将来のことで憂いていくことが、どんなに、この尊い一日を汚していくことか。
しかし今日、にだけ生き切ろうと思っても、ウロウロ、オロオロ、グチグチ、クヨクヨ、ボソボソがついて回り、中々思い通りにいかない。それでもまた、明日、新しい一日が到来し、また生きられることを願いつつ、明日は今日よりも、もっと新しく、生き切ることができるように、祈りつつ床に就く。
明日は一体、何があり、待っているのか、実は、誰一人として分からない。だから、今日一日の覚悟の重さ、大切さが、あらゆる生きる物事の基盤となっていく。そういう生きる歩みを、ぼくは、自分の生涯の道と思っている。 2022年6月25日
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