先日近くの原っぱで、一時間程かけて、中位の大きさの鍋に入り切れない程のフキノトウを摘んできました。それをフキ味噌や天ぷらにして頂きました。今も半分は冷凍庫にあって、時々味噌汁や炒めものに使っています。ここは能登の先端、自然が豊かです。豊かだということは、自然が裸のままにあるということです。自然が豊かだということは、不便さと厳しさが同居しています。何が一体生きる上で大切なのか、豊かさと、不便さ、厳しさが、自ずから教えてくれているようです。
沖縄に里帰りしていた家内が、こちらに来る以前、四ヶ月程新しい冬のまっただ中で一人暮らしをしていました。都会である鎌倉から、急に人里離れた環境に置かれた私にとって、一人暮らしは、大変なことが多くありました。しかし同時に、この時置かれた状況が、普段何気なく当たり前にあったことを、改めて問い直さなければいけないこともあったのです。
都会でも田舎であっても、またお金持ちであっても貧しくとも人は、ひとである限り、身内を含めての他の人がいないと、元気さを失っていきます。しかし、他人ならばどんな人でも良いというわけではありません。どれ程の会話ができるか、その内容によって、人は力をつけていきます。複雑な自分の気持ちを汲み取り、さらにもっと深く埋もれていた自分の本音を引き出してくれる他人が必要なのです。しかしそれは同時に、自分自身も他人に胸襟を開いていく勇気も必要だということは当然です。
2016年4月9日
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