螢山堂通信 夏 28
六月の海はひんやりとして気持ちが良い。その海に足を浸して水平線を眺めていると、いろいろな思いが生じて来ます。この海をまっすぐ進んで行くとハワイ諸島を経てアメリカ大陸に着く。アメリカ大陸を横断すると大西洋に出て、ヨーロッパ大陸にたどり着く。ヨーロッパ大陸から日本海まで行けるかな?なんて普段思わないことを想像させます。海は家の中では考えられないことを想像させるから、これは海の力と言っても良いかもしれません。
私達は海と聞いたら、何だか分かったように思っていますが、分かっているのは海のほんの少しで、全く分かっていないのだと思います。海水を試験管にとって調べても、調べつくせる筈がありません。時時によっても、場所によってもその中身は違います。ましてやこの厖大な海を相手にしたら全くお手上げです。海をほんの少し分かっている人がいるとすると、それは海のことが好きでたまらないある漁師かもしれません。
私達人間も、地上のあらゆる生物も元々はこの海から発生したものです。海は生物の根源であり、海の根源は地球であり、地球の根源は宇宙です。私達一人ひとりが海に、地球に、宇宙に根源を持っています。一人ひとりのいのちは、とてつもなく大き過ぎて想像ができません。手、足を含めた身体、こころ、精神、これらは便宜上名前が付けられていますが、どれもこれも神秘的で測り知れないのだと思います。
科学が海を理解できるような錯覚があります。医学で人間を理解できつつある盲信があります。が、海を愛している漁師と顕微鏡から見える海とは全く違うことを、人が好きで人を看ることと、実験観察の対象としての人とは、全く違う人であることは知っておくべきだと思います。 2013.6.11
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