暦ではとっくに春になっているのだが、ぼくの中では、穴蔵生活のようであった冬が続いていた。その、かなり重くなった身体も、気温の上昇と共に、外へ外へと動き出してきた。気がつくと、イヌノフグリ、ヒメオドリコソウの花が眩しそうにぽつり、ぽつりと咲いている。梅の花もほぼ満開に近い。剪定した枝を持ち帰り、玄関と室内に飾った。夜、閉め切った部屋に梅の匂いが、甘く満ちていた。香しい春が家中にもやってきた。
近くの大きな家が取り壊される。欲しいものがあったら、もらってと云って下さったので、何だかんだと頂いてきた。火鉢、夏の障子戸、簀戸、藁の畳[今の畳はビニール製品]、桐のたんす、着物、お釜、みんな誰か彼かが丹精込めて作った、かつての暮らしの必需品。…みな捨てられていく。
近所の方々は、みな八十歳を優に越えて、九十に近い、向こう隣の三男さんは九十八歳。町全体の平均年齢も八十に近い。しかし多くの方々は、様々な悩みや故障を抱えながらでも、野菜作りや好きな事に励み、それなりの張り合いある生活をしている。何もかも自分でやらねばならない生活を、長い間続けているから、日々の暮らしの工夫も、現在の身体と知恵に応じた生活ができていく。これが良いという標準の暮らしは何処にもない。一人ひとりが、その時々に合った、相応しい生活を工夫していくことが仕合せであり、生き甲斐となっていく。より良く歳をとるということは、誰とも比較できない、今日一日、自分なりに精一杯であったことに感謝しながら、安心して床に就いていくことではないだろうか。 2026年2月28日

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