去年の暮れ、イチゴ畑の中にどっさりと糠を埋め込んでおいた。その所為もあって、イチゴが赤く色づき、たわわに実り始めている。数少なくとも、自分の畑から採れる野菜や果物は、特別な味がする。畑の中で、イチゴを一つ、二つと口にする。甘酸っぱい…味がする。
元日の地震が起こってから、五ヶ月経った。それが次第に遠くなってきているのか、まだ最近のことなのか、良く分からなくなっている。能登の何処に行っても、まだ地震の生々しい傷跡が残っている。山、崖、家、道路が、尋常ではない顔をしている。それが今の私たちの生活と重なり合っていく。以前からの積み重ねてきた階段が外され、一段からやり直しさせられている気もする。だとすると、人類が、古の人々が行動して来たように、また初めから一段一段と積み重ねていくのだろう。自然の営みは測り知れないものとして、目の前に横たわり続けている。私たちはそれらを怖れ敬いながらも、挑み続けていくのだろう。一歩いっぽと歩き続けていくのだろう。
床に就き、眠りの中に入ってしまうと、夢の世界である。時間の秩序が壊れ、確かな自分ということも分からない未知の世界である。時間も場所も分からない混沌とした真夜中の世界と、明らかなる真昼の世界とは裏表となるのだろう。明日はどんな明日になるか誰にも分からない。だから今日は今日で、自分のできる範囲のことをしていく。明日は、明日に任せよう。そんな生きることを、一歩いっぽと思う。 2024年5月29日
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