2023年6月27日

138  能登あすなろ通信  野菜づくり

 


雨が降りすぎて心配し、降らなくてヤキモキし、お日様が現れてほっとし、日中の暑さによろよろし、朝晩の涼しさに喜びを感じ。あ僕たちは、余りにも人間的なのだ。ナマノ自然は、優しくて、残酷だ。

野菜作りが面白くて、二十種類ほどの野菜を育てている。育てているといっても、いい加減なのだが…。畑を耕さない、耕さない上に、雑草がはびこっている。その代わり様々な生きもの、ミミズが、うようよ暮らしている。

野菜は、その野菜の種を小さな箱やポットに入れて、手元に置き、土が乾き過ぎないように、水やりをしながら、太陽の光りの具合も加減しながら、芽が出てくるのを待つことから始まる。その内、その野菜の芽が地上に現れ出てくる、その瞬間に立ち会うことができるのが、もっとも感激する野菜づくりの醍醐味。ゴマ一粒ほどの小さな、小さなものから、黄緑色をした芽が、大地を蹴破るようにして首を出してくる情景は、いつも心が震える。あらゆる生きもの達の根源を見せられている気がする。―やがて時と共に、ゆっくりと育って、花実を咲かせ、実らせ、ぼく達を潤してから、次第に枯れ、大地に戻っていく。その野菜の生涯に、ぼくの、命の生涯が、いつの間にか重なり、重なって、立ち会っていく。

たかが野菜なのか。巷にある、ありふれていることなのか。人間の一生は、そんなこととは異なるのか。雑草といわれる植物たち、昆虫、ミミズ、樹木の生涯は、わたし達の生涯とは違うのか。一人ひとりへの問いかけがある。その問いかけに応じて彼らも、まっ直ぐに応えていく。  2023年6月25日

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