2022年11月29日

131 能登あすなろ通信 紅葉

 


近頃、時雨れる日が多い。そろそろ霰が降ってもよい季節なのだが、そこまで寒くなっていない。でも、その内一気に冬になっていく空模様の雰囲気だ。能登が冬になると、辺り一帯はモノクロームの風景に被われ、寂しくなっていく。それで、一層、良き話し相手を求めるように心が動く。

今、紅葉のまっ最中。目の前の山々が、樹木が、葉っぱが、赤、橙、黄など様々な、微妙な、鮮やかな色彩を身につけて、日に日に私たちを楽しませてくれる。葉っぱは次々と落下し、枯れ葉となって、地上を賑わし、大地に帰っていく。木々は裸木になり、山も森も冬の顔になって…私たちも少しづつ、冬の顔になっていく。

竹林の竹を切っている時、ふっと眼が見えなくなったら、と想像した。こういう仕事ができなくなり、歩くことさえ不可能になる。いや、それどころか生活ができなくなる。そんなことを思った時、日常生活において見えることが当たり前のことのようにしか感じていない自身に気づく。聞こえること、話せること、身を動かすこと…みんな同様に、当然なこと以上には省みてはいない。だが、明日はおろか、今日ですら何の保証もないのではないのか。想定外は、原発ばかりではない。誰でも、何時でもあるのではないのか。

生きていることは、誰でも当たり前ではない。突然に生きることが困難になるにつれ、普段通りに生活できることが、どんなに価値あることだったか身に染みて分かるに違いない。奇跡は特別の事柄ではない。今、この世に、この身が生きている以上に奇跡はない。         2022年11月25日

                    

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