2022年3月31日

123 能登あすなろ通信  春だ

 


雲一片も見当たらない、まっ青だけの空…。だなんて、冬には想像し難かった光景が、今、度々目の前に現れる。太陽がまぶしく、陽だまりにいる身体が、嬉しいと言っている。道々を、畑を歩いていると、色とりどりの草花が勢いをまして、身をもたげ、さらに大きくなろうとしている。彼らも嬉しい、と言っているようだ。裸の木々も身を膨らませ、蕾をつけ、装いを新たにしていく。みんな僕らと、遠い遠い親戚関係である間柄。どこか心の隅っこでは、同じことを感じ、共感し合っている気がしてならない。

春の、その風に吹かれ、歩いているだけでもいい。何かしら手当たり次第に、目に飛び込んでくるものが、何と新鮮なことか。大地に新たな花が咲いている。小さな、小さな花だ。それは光り輝く宝石だ。オオイヌノフグリ、ヒメオドリコソウ、ハコベ…それらがどんなにか価値あるものか。僕らには分からない。地球の砂漠地帯や不毛の地では、それらがどんなに珍重なものであるかが、僕らには分からない。あり余る雨に、大地に支えられている僕らには分からない。

遠くで大きな戦争、小さな戦争、もめ事が、飢饉が起きている。毎日何人の避難民が生じて、屋根のない生活を強いられているのだろう。一体毎日何人の病人が苦しみ、餓死していくのか、僕らには分からない。その、ちょっとした、心の痛みさえ感じられなくなっていく。

息をしていることが、動いて話し、食べていることが、どんなに際限ないものたちに支えられているのか、僕らには分からない。    2022年3月25日

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