2021年9月25日

117  能登あすなろ通信 お彼岸

 


夜が深まってくると、秋の虫、キリギリス、コオロギ、スズムシたちの鳴き声が、あたり一面に満ちみちてくる。さらに気持ちが和んでくると、身体中にまでそれらが染みわたってくるようだ。いろんな虫たちの、その声を聴き分けようと試みるが、如何せん、名前と声とが一致できるのが、ほんの少ししかないので、漠然と聞き入っているだけなのだが。

夜中、ふっと目覚めて、夢うつつに聞こえてくるのは、ウイーンの都で、大オーケストラが奏でているセレナーデ。演奏家と観客は、一時互いの立場を忘れて、同じ世界で息が通じ合っていく。夢の中で、ぼくらは、同じ地球上の生きものとしてつながっていく。

お彼岸が近づくと同時に、赤い彼岸花が咲いているのを見つけた。人目につかない所で、ひっそりと咲いているのを二輪採ってきて、テーブルの上に置いた。見惚れていたその姿態も、三、四日で、急に鮮やかな赤が色あせ、萎んでいった。秋の彼岸が過ぎた。これから秋が深まっていく。

虫たちの命は短い。花の命はさらに短い。しかしこれらは人間の目から見ると、という話だ。彼らは決して短い、とも思っていない。ぼくらの命も、何千年と生きる樹木からみると短い。短い、長い、の視点は、実にいい加減だ。変わらないのは、どんな命であろうと、それをどんな風に思っていようと、今出逢っている、この生々しい現実は、どれ一つ取ってみても、掛け替えのない命だ、ということだ。                  2021年9月25日

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