2020年3月28日

99 能登あすなろ通信  春だ


春になり、日差しが部屋の中にまで入り込むようになった。お日様の光を、家の中で浴びられるのは、何と贅沢なひと時、なんだろうと感じてしまう。少々窓を開いても、寒く感じない時もある。閉じられていた家が、解放されていく家へと、陽気な春へと変わっていく。雪もなく、比較的過ごしやすかった冬だったが、それでも冬から春へと、ゆっくりと一日、一日と感じられていくのは嬉しいし、待ち遠しい。
セリを、いっぱい摘んできて、湯がいて、そのまま味を加えずに食べる。口の中が春で満たされていく。こういう春は、普通の野菜では味わうことができない。自然の、野原で摘む野草ならではの味わいだ。旬の、芽吹き時の、これから成長し、大人になっていくためのエネルギーが、そこの一点に蓄えられている。爆発する生命力が、そこに宿っている。それを食べることが、滋養になり、薬にもなっていくのは、多くの動物たちには、ごく自然なことなのに。僕たち、頭でっかちの人間が、カロリーで食したり、インスタント、加工食品で、便利さや見た目のあり様で、その自然さを忘れていく。
お日様の光、空気、植物、その他いっぱいの生命や、鉱物によっての、ぼく達、人間である。一日、一日があってのぼく達である。ぼくの、人間の悩み、憂いは、そんな限りのない連鎖、生命の営みを思う度に、消える。この今の春を、天の恵みとして、どれだけ受け留められるかは、ひとえに、ぼく自身の責任である。                       2020年3月25日

                      
          

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