2019年6月26日

90 能登あすなろ通信  梅雨とアジサイ


暦通りに梅雨になった。カラカラに乾いていた大地が、大量の雨水を吸っていく。草木や野菜が一気に大きくなっていく。山々や森がいっせいにみどりを濃くしていく。野菜もぐんぐん育っていくが、周辺の雑草の成長は、その野菜を圧倒していく。品種改良を重ね、人間に近くなった野菜は、ある程度大きくなるまで保護し、成長していくのを手伝ってあげないと、しっかりと育たない。最後まで見守って大地に帰してあげるのも、人間の手が必要なのだ。
つい最近まで、のっぺらぼうだったアジサイが、急に色づき始めた。近くに生えている、紫色に衣装替えしたガクアジサイを摘んできた。花瓶に入れて、部屋に飾った。じっと見つめていると、見つめたエネルギーの分量が、それから返ってきた。ぼくの思いが、花瓶にさしたアジサイに届いて返ってくる。ひとが、猫が、ツバメが、野菜が、山々が、…生きとし生けるあらゆるものが、聞き、見て、嗅いで、触れる、感じる、そのエネルギーや思い内容、中身だけが、正直にぼくに返ってくる。生きるものはみな、ぼくの鏡となり、反射されてくるようだ。
 「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ」とマハートマー・ガンジーの言葉がある。このように日々生きることは、死ぬまで、山登りするような、山道であるに違いない。           2019年6月24日




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