畑へ行く途中に、大きな桜の木がある。昨日その木の下を通ると、花びらが散り始めていた。ま下から見上げると、空がピンク色に染まっている。桜は、散り際になると、ピンク色になっていくのだと、思った。一本の桜の木も、どこで、どんな風に眺めるかで印象が変わってしまう。ましてやぼくの態度如何で、変幻自在していく。今日は、どんな桜が待っているのだろう。
能登に移り住んで以来、テレビをなくしてしまった。時には見たい番組もあるが、その時は我慢している。テレビによって奪われる時間が勿体ないように思っているからだ。面白い映画を見たいと思っていたら、近くにある「くろねこ珈琲」が映画の上映会をするという。先週二回目の映画会に参加した。十人余りで見ることができる大型スクリーンだから迫力がある。終わって、参加者で雑談をしていくのも楽しみだ。同じ映画を見ても、その態度も見方も十人十色だ。映画の内容にまで及ぶと、物語全般に渡ってのこと、一つの会話、風景描写の受け留め方が、一人ひとり違うことに毎回驚かされる。違いを、違いとしてただ受け留めていくのは難しい。優劣や点数つけて受け留めがちな態度が、映画を見るにしても桜を眺めるにしても、それそのものに沿ってみる態度を邪魔していく。
自分に相応しいあり方で、世の中の役に立ちたいと思う。それは、常にぼくの、今この立っている場所から始まっている。 2019年4月21日
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