2018年10月27日

82 能登あすなろ通信  秋

いつの間にか、すっかり冬掛けの布団になってしまった。朝起きる時も、布団の中がぬくぬくとして心地良いものだから、起き上がるのに時間がかかる。必ずと言って良いほど拝む夕焼けも、六時頃には終了して、辺りは闇に包まれる。それが日増しに、どんどん早くなり、冬を思い、せっつかされる気分になってくる。入浴も、夕食に就くのも早くなり、換わりに夜が長くなっていく。
能登の高齢の方々は、何らかの仕事している人が多い。近所でも九十歳前後の方々が、日々鎌や鍬を持って野良仕事に勤しんでおられる。土と草花に、外の風に触れていることが、元気の源になっているようだ。私たちは、年齢や職業で、ヒトを測れない。若くても、年をとっても、その人自身の能力を使っている限り、生き甲斐を感じるし、さらに埋もれていた能力が増していく。
人は、どんなヒトであっても、年齢や職業、人種で判断できない。一人ひとりの顔、能力、性格が元々違うのに、一律の基準を設けて評価し、点数等をつけていくのは馬鹿げている。出世し、お金を稼ぎ、高価な物を買えることが価値あるという考え方もおかしい。一人ひとりが、その天分に合わせて甲斐ある人生になっていく、そういう世の中になっていかなければ。私の畑、雑草も含めた野菜たちも、互いに共存し、育み合っていかれれば、いっそう美味しくなっていくに違いない。    018年10月24日
 

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