2017年9月24日

69 能登あすなろ通信 生きとし生けるものと通じていく道

秋深まり、朝晩が涼しくなりました。コオロギ、鈴虫、蛙等々が、秋の声や歌を届けてくれています。風のゆらめき、木々のざわめきと共に、言い知れぬ妙なる世界のことを、私たちに、刻々と語ってもいるようです。日増しに夜明けが遅くなり、日暮れが早まっています。そろそろ長袖に変えたり、布団を厚くしたり・・・、寒さが募ってくる気配です。
季節は、どんどん移り変わりします。が、どんなに気が急いても、どんなことを思っていたとしても、一歩一歩でしか、私たちは歩くことができません。一歩は、たった一歩にしか過ぎませんが、今の一歩がなければ、この先の百万歩もありません。この一歩が、どっちの方向に向いて歩いているかが、明らかになっていく分、たった一歩が力強くなっていきます。確かな一歩は、百万歩の道程も、あるいはそれ以上の道のりにも、通じていくことができるからです。
コオロギはコオロギ。鈴虫は鈴虫。蛙は蛙。であるように、太郎は太郎。次郎は次郎。花子は花子です。どんなものにも、どんな人にも比較や真似のできない、掛け替えのなさがあります。今日という日は、今日だけであり、他の日と比較や真似ができる訳がありません。今日一日、私だけしか生きられぬこの一日です。この当たり前の事柄が明らかになるにつれ、生涯に通じていく道ができてきます。全ての生きとし生けるものと通じていく道であります。                        2017年9月22日


                         

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