色んな木々が葉っぱを落としていく。柿の木も、葉っぱを落とし、丸裸になってしまったが、柿の実は、鮮やかな赤色して枝にぶら下がったまま、自然と落ちるのを待っている。毎年渋柿の皮をむき、焼酎につけて干し柿にする。去年は、不作の年で、柿の木には実がつかなかった。それで、干し柿もできなかった。ところが今年は、去年の分も取り返したかのようにして、たわわに見事に実った。余り多く実ったので、柿酢にした。ただ潰して、漬け込み、一日一回かき混ぜるだけで、来年の春には柿だけの酢ができる。どんな味の柿酢になるのか、それが楽しみで、かき混ぜていく。
これまで、海を眺めるには、我が家の二階に上がらないと、眺めることができなかった。それが、近所の家々の解体工事が進んだお陰で、玄関口から海が一望できるようになった。我が家と海との間には、殺風景な裸土ばかりが露わになり、辺りは何だか空虚な風ばかりが漂っている。それが虚しいのか、寂しいのか、自分でもよく分からず、混沌としていく。しかし、こういった新しい風景にも、時と共に親しんでいくのかもしれない。
人が生きるには、衣食住が満たされるだけでなく、一人ひとりに沿った希望や夢がなければ、真の活力にはなっていかない。世の中や他人に随従しているだけでは、本当の希望や夢にはなれない。一人ひとりが、自らの足で自らの道を切り開き、歩いていくことが、活力源になっていくのだ。そこは、たった一人で、道なき道を歩いていくような孤独の世界だ。
2025年11月30日




