2012年2月14日

14 春 命、身体、宇宙

春分が過ぎて、春!と書きたい気持ちですが、まだまだ冬のまっ最中のようで寒さが厳しいですね。雪国では雪解けが始まり、土が見え始め、草花の芽吹きを見つけて、歓声を上げたくなる春は、また格別なものがあります。しかし、どちらも春は待ち遠しいですね。
現代では、命という言葉は、この小さな身体に限定されている感があります。この生命は私のものだという思い込みです。命を粗末にするな、命を大切にしよう、と巷で飛び交い、標語にも使われていますように。
しかし、前回述べましたように、東洋医学では、命は身体を気として観ていますから、目に見えるだけの肉体を身体の対象としていません。気としての身体は、その時に生々しく感覚され、直感されていくもので、無限に深く、広いものです。それは空気や、刻々と生きていくに相応しい条件と環境がなければ、一時でも生存できない身体でもあるということです。
人間が人間として生まれるには、地球が生じ、単純細胞から、何十億年もかけて試行錯誤を繰り返し、今日に到った宇宙の歴史が聳え立っています。現在の私達が、この測り知れない歴史と、偶然の積み重ねで到ったのであり、この身体、命を私のものだという考え方は、利己的で無理があります。また、これからどんなに科学が発達しようと、これらに関わり合うのは、いつもその一端にしか過ぎないことを認める必要があります。
この身体を、東洋医学では、小宇宙と呼んでいます。身体には宇宙の歴史、英知が埋まっているということです。この小宇宙を、一人ひとりが、生きています。私達は、自分の身体にもっと耳を傾け、日々学んでいるのだという態度が、健康には、もっとも必要なことであると思います。

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