2023年11月29日

143 能登あすなろ通信 木枯らし

 


木枯らしの絶え間なく吹く日々が続く。つい最近まで、強風であっても木枯らしではなかった。木枯らしが吹き始めた折から、漠然とした寂しさ、心許ない気持ちに襲われてきた。何故なんだろうと、いぶかし気な気持ちの日々が続いた。冬になることは、雪、氷、冷たい、日陰、死などに近づいていくことなのだ。この寂しさは、自然からの、生きものらの共通の心から寄ってくるものなのかもしれない、と思った。

日に日に裸木が増えていく。赤い柿の実が、わずかに木にぶら下がって揺れて、それらも姿を消していく。盛んに目を楽しませてくれた、小菊も萎み始め、急激に、日没が早くなり、日の出も遅くなってきた。野良仕事、外での仕事が、制限されていく。本格的な冬が始まる前に用意していくことが見えて、手が忙しく動いていく。

ぼく達も自然の一部分であり、どんな人間もそのような自然から逸脱することができない。生と死はコインの裏表だ。片方だけの自然はあり得ない。日の当たる場所には、必ず日陰となる所ができる。東側の斜面に陽が当たれば西側は日陰となる。午後となり、西側に陽が当たり出すと東側が日陰となっていく。幸せ、喜び、善きことの陰には、不幸せ、苦しみ、悪いことがある。これらは両者切り離せない。不幸せ、苦しみ、悪いことを知らないで、どうして幸せ、喜び、善きことを知ることができるのだろうか。それは、永遠に続いていく矛盾した人間特有の道なのだ。      2023年11月25日

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