2012年4月10日

16 春 春が来るということ、肝臓・胆のう

桜が満開になりました。桜は花を咲かせる為に冬の間、その準備をしています。桜は、冬眠中、特に開花する前には、樹液が花弁の色に染まっているらしく、その木を切ると、鮮血のように樹液があふれ出してくると言われています。私達の見えないところで、彼らは黙々とその用意をして、時機到来とみるや一気に花を咲かせるのですね。
季節ごとに活躍する内臓が違います。春は、肝臓と胆のうの時節です。肝は、<怒り>の気を生み出していきます。怒りは、強く、激しいものです。強く、激しいものだから、大地からあまたの植物が芽を出し、花を咲かせ、冬眠中の昆虫や動物が起き出してきます。身体も自然の巡りと共に生きており、冬<腎臓、膀胱>の蔵で貯め込んだ<志>を、一気に内外に向かって、発動していきます。病人ならば、回復する兆しが、またどんな人でも、新しく何かを始めるのに、自然の勢いが後押ししてくれますから、絶好の機会でもあります。
江戸時代までは、自然<しぜん>と言う言葉はなかったらしく、<じねん>と呼ばれていたらしい。つまり、自然とは、おのずからそうあること、本来そうであること、ひとりでに、なるという意です。春になれば、自然と誰でもが普段より<肝っ玉>がすわり、<胆力>が備わって行動的になれるのです。焦らず、苦にせず、あるがままに任せていれば、時期が来てひとりでに、春が来るというのは何と嬉しいことでしょう。そう言えば以前に、道を歩いている時、<冬来たりなば、春遠からじ>という碑文を見て、随分助けられたことを思い出します。春は必ずやって来るのだと、一人ひとりに、その相応しい姿で来るのだと諭された気がしたのです。